2009年07月12日

運命の考察2

運命の考察2

しばらくごぶさたでした。

「運命」というかなりディープな内容を取り上げたのですが、

どのように話を展開していくか、

いろいろ考えていました。

まずは結論から入って各論は後から取り上げていくほうが

自分としては書きやすいと思いましたので今回はその件(くだり)でいきます。

前回のニュートン力学までの世界観は決定論ですから

我々の思考、行動も含めて全ては決まっている。

つまり我々には自由意思が与えられていないと言うところまで話しました。

かのアイシュタインでさえも「神はサイコロは振らない」と言ってましたからね。

我々がはっきりとした未来を予測できないのは

現在(その当時)の科学の情報量での段階のことであって

将来科学の進歩とともに未来の正確な予測は可能だ言うのがその当時科学者の常識でした。

しかし、20世紀初頭量子力学と言う理論物理学が登場してきたのです。

この量子力学において何がニュートン力学と違うのかと言うと、

ニュートン力学では物質の究極の最小単位が粒子と言う考えなのです。

物質をどんなに細かくしていっても究極は粒子と捉えますから

粒子の位置と速度が測定できれば1秒後、10秒後、1年後とニュートンの運動方程式で計算できる。

つまり、一人の個人の将来も世の中の将来も計算してだすことができると言う結論になります。

このような考えを唯物的宿命論と呼びます。

なぜこのように将来のことが全て計算方式で分かると考えたかと言うと、

私たちの体の究極は分子つまり原子核と電子でてきています。

原子核の周りの電子の運動量を計測することにより個人の将来までも予測できるとしたんですね。

あらゆる物質はみな分子で、できていてさらに分子は原子核(プラス)の周りに102個の電子(マイナス)が

調度太陽系の周りを回っている地球のような衛星という姿を想像しました。

注意:あくまでもイメージであって現実には確認できない。

これが前回に話した、「決定論」の根拠です。

今の科学者達の認識は

量子力学と言う理論物理学です。

注意:現代の物理学では、ニュートン力学は、われわれが日常扱うスケールでの有効理論であると考えている

ではこの量子力学では物質をどのように見ているのか?

これが実に驚きなんですが、

究極の物質と呼ばれるものが?????

あるようで無い、ないようである???

なんのこっちゃ?

物質をどんどん小さく分析していってゆきついた結果は?

固定粒子のような確固とした存在はないと言う結論になったのです。

般若心経の「空即是式・色即是空」の世界観と近似しています。

物質には2面性があり

粒子とは波動のどちらか一方だけが存在するのではなく、

両面性を持ったどちらかの特性を見る側の認識によって現れると説いたのです。

「量子の観察効果」と呼びます。

先に上げたこの世界の未来を計算するには素粒子の運動状態(位置と速度)を正確に把握しなければならないのですが

それは未来永劫不可能だと言う結論にいたったのです。

(ハイゼンベルグの不確定性原理)

もしこれがわかれば個人も社会の行く末も計算で分かるのですが(ニュートン力学)

アイシュタインが「神はサイコロは振らない」と言ったのは、現段階では情報不足なだけでいずれは必ず計算できるといった意味です。

このことは長くオランダの物理学者ニールス・ボーアとアインシュタインの間で論争となっていました。

アインシュタインの死後フランスのパリ大学アレーヌ。アスペクトの実験によってボーアの理論が正しいと結論がでたのでした。


(ボーア・アイシュタイン論争)

今までなにを言ってきたのかここで整理してみると、

我々の肉体を含めて究極の物質と思われていた粒子(物)は確固とした存在ではなかった

あたかも幻をみていかのごとき存在である。

そしてはっきりした個体ではないので運動状態を正確に割り出すことができない

つまり未来を100%確実に知ることは永久にできない。

この理論物理学の結論から言うと我々には自由意思により自らが運命の開拓ができると言うことになります。

しかし、一般的能力開発では運命的なことを取り扱っていませんが


確かに運命と呼ばれる現象も先にあげた人の自由意思と同時並行して存在しているのです。

それらのこともこれから実例を取り上げてなるべく客観的に紹介していくことにします。


posted by hisashi at 17:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

運命の考察1

運命?

命を運ぶと書く。

果たして運命は存在するのか?

しないのか?

このブログを長く読んでいる人達は、

過去に「思いの実現」を読んだことがあると思います。

ピンクレディのの振付師土井さんの話などその一例ですが

http://cocoro7.seesaa.net/article/80328835.html?1244838787

土井さんの強烈な思い(願望)でとうとう家が建ったと言う話です。

この出来事は果たして偶然だったのか?

それとも必然だったのか?


われわれが体験している出来事は全て必然だとある人達は言っています。

あなたも聞いたことがあったでしょう。

そうであれば我々が努力していることも

必然となり

すでにそのような願望を持ったことも

過去に決定していたことになります。

であるならばもうすでに運命は決まっていると言うことになります。

だから努力しても無駄だ言う人がでてきます。

努力するもしないも決定しているのだから。

確かにこの論理は論理である一面正しいとも言えます。

事実我々が日常生活を混乱なく過ごしていけるのも

原因と結果の科学の法則があるから

安心して乗り物などの交通機関にも乗れるわけですから。

ニュートン以降の古典力学があるからです。

ニュートンの計算方式でいくと未来のことも計算で分かると言うことになります。

ここまでの話だけを読むと

我々は良くも、悪くも運命と言う名の呪縛から逃れられない

ある意味運命の奴隷だとも言えるのかもしれない。

これを書いてるのも書かされているのかもしれない?

このような考えを決定論と言います。

西洋の考えにあるのです。

「聖書」の「よげん」と言う文字は「予言」でなく「預言」と書きます。

言葉を預かっていると言う意味です。

つまり「聖書」を読めば現在起きていることも将来起きてくることも

全て「神」の意思により決定していることと言うことになります。

果たして我々に自由意思における自身の運命を開拓できるのか?

そうでないのか?

話が長くなりました。続きは次回に!



posted by hisashi at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

自分が気持良くなる為に!?

その昔矢沢永吉さんが、

NHKの若者参加型のテレビ番組で

「もうファンの為には歌は歌わないよ!」

「じゃ誰の為に歌うのか?」

「自分の為ですよ!」

「自分が気持良くなる為に歌うんだ!」

こんな話をしていたことがありましたね。

これだけ聞くとなんと不遜なと思う人もいることでしょう。

そのあと少し考えた様子で

「この言い方には誤解があるな」

「とにかく僕は13年間歌を歌ってきたんですよ!」

そして彼が言い足した言葉は、

「なんで自分がいい気持でなくてファンにいい歌を聞かせることができるんだ!」

言葉自体は彼ならではのストレートな表現があるので

誤解や偏見で捉える向きもあるでしょうが

自分はかねてより矢沢永吉と言う人が

物事の本質を直観的に洞察することに

長けた人だと思っているんですね。

大義名分は大勢の人を動かすには必要なこと、

しかし、

その大義名分が自身の本音とどれだけすり寄っているかも

非常に大事なこと。

もし、自分の本音を犠牲にして

ただ綺麗ごとであるならば

自ずと無理が生じ

その言った言葉は単なる偽善として人々失望を与えてしまうのかも

しれない。

人は快を追及して生きることは自然、

しかし、

そこに自分だけが快を独り占めしようとすることは

他の同意が得られなくなり

結果として自身も不快になっていく

ではどうその折り合いつけていくか

まずは自分がやりたい、望んでいること、楽しいことが

結果として人の為になるのであれば

それは永続的繁栄に繋がる

しかし、ともすると我々は自分だけがの心が起きやすいのもまた事実

ただ今までのような道徳的教えで

「世の為人の為人に尽くしていきましょう」

これだけでは長続きできないと思う。

何故ならそこには唯一かけがえのない自分がないがしろになっているから、

(道徳が間違っているのではなく、結果としてそのようになってくるのがほんとだと思う)

聖書に「自分を愛するようにまた人を愛しなさい」と言う言葉がでてきます。

つまり自分を愛せない人はまた人を愛せないと言うことでもあります。

冒頭の矢沢さんは、

単なる道徳論を言うのではなく

本質的的、直観的にこのことを理解しているからこそ

言えた言葉だったんですね。

だからこそ、「僕は13年間歌い続けてきた」と言ったのです。

つまり、理屈だけでこなかった

実際体験して分かったことと言ってるですね。

人は楽しい感情は相手に黙っていても自然に伝わります。

反対に自分は楽しくないのに

無理してストレスを溜めて人にサービスしてもそれは

所詮偽善いずれ相手にも伝わり不信感を植え付けるだけの結果になってしまう。

自分を犠牲にして人だけを幸せにしろとは誰もいっていないのです。

自分だけでもなく、また人だけでもなく

まずは自分が気持よくなること

そしてその気持ちが自然に相手に伝わる

他人と折り合いがつくようになってくる

また余力があればこそ人に何かを与えることもできる。

いきなり話が飛躍しますが^^;

松下幸之助氏の「ダム式経営論」も同じように常に余裕を持つように


心がけろと言っています。

世の東西問わず

言っていることはかけがえのない自分を大切にして

そして同じように人も大切にすれば

その楽しみが自分だけで完結せず

他の人の幸福感が2倍、3倍いや人の数だけ

幸福感として返ってくるのではないでしょうか。

以上です。
posted by hisashi at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

相矛盾した両方の感情

以前、相矛盾した両方の感情(アンビバレンス)を取り上げました。

読者の皆さんは、何かを決断する時にどちらにしたらいいか

迷う時があると思います。

例えばAに決めようとすればするほど反対のBのことが気になってくる

このような感情を経験したことがなかったでしょうか?

実は、マーケティングコンサルタントの佐藤昌弘氏によると

人には60種類の根源的欲求があるそうです。

「知っておくと得する"60の顧客心理"」によると

例えとして、「責任感」と言う言葉がありますが、

人は「責任感を大事にしたい」と言う欲求を持っています。

だからこそ、「ああ、あなたはすごく責任感を大切にしてらっしゃるんですね」

と言われると、心が満ち足りた感情になります。

反対に、その裏側の欲求も持っています。

ですから、「責任感を大切にしているんですね。でも、これはあなたの責任ではありませんよ」と言われると、

裏の欲求を刺激されて、これまた心が満ち足りた感じになります。

このように欲求には、本人が自覚している欲求と自覚していない

欲求があります。

他にどのような例があるかといいますと、

その一部だけ取り上げてみます、


表の欲求  夫または妻     経済的安定  リーダシップ  自尊心

裏の欲求  自由に生きたい  浪費したい  人に頼りたい  怒って欲しい

他にも様々な欲求に表と裏の欲求があるそうです。

興味、関心がある方は、佐藤昌弘氏の「凡人が最強営業マンに変わる魔法のセールストーク」をお読み下さい。

このことを知っておくと、

今まで自分に対しても、或いは人に対しても

なぜあのような矛盾した考えや行動をとったのかが

理解できるようになります。

人には表面に出ている浅い欲求とその欲求の大元になっている

深い欲求があります。

セラピストの人達は、このことを理解しながら

心の問題を解きほぐしていくそうです。

このことは、日常生活に知っておくと

自身を含めた対人間理解に役立つのでは、ないでしょうか、

今回は、以上です。

目標達成、モチベーション、集中力要請、成功哲学は↓

目標達成のわくわく能力開発
posted by hisashi at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

目標達成、能力開発に関する書物

目標達成、能力開発に関する書物

目標や願望実現は誰もが望むことですね。

その中で最も重要なのは信念(思い込み)の構築です。

例えば今までの価値感と同じで、

目標を考えれば当然いままでとたいした成果の違いはでてきません。

また高い目標を設定したとしても、

自身の今まで築いてきた価値感体系では

変化は期待できないでしょう。

なぜなら長い期間を通して

好む、好まざるを別にしてあなたの潜在意識に

固く、強固に構築されてしまっているからです。

この自身の信念体系を新たに構築し直すには、

やはり時間をかけて毎日少しずつでいいですから

新しい前向きな情報を取り入れる必要があります。

あなたが今まで無意識に取り込んできた概念を

こんどは意識的に前向きになるような情報を取り入れてみるのです。

読書は一つの暗示効果となり

潜在意識に蓄えられていきます。

それまでは繰り返しの反復です。

そしてあたかも片栗粉が溶けて液体に同化するように

ある時点から確実にあなたの思考回路が変わりだし始めます。

これが信念体系の再構築と言うことになります。

市販の自己啓発教材は費用が高い点があったり

セミナー参加も参加して間もなくすると当初の感動が薄れる傾向が

一般的にはあります。

その点読書なら低価格でいつでも何処でもその気になれば読むことができます。

今回は能力開発、目標達成、モチベーション、セールス等に役立つであろうと、

思われる本を多数一括取り揃えてみましたので、

その中で自分で読んでみたいと思われた本があったのなら

購入してみるのも良いと思います。

何しろ本は他の教材に比べ格段に安く購入できまので、

そしてもう一つ読書における自己啓発の利点は、

私達は同じ情報だけでは

いずれアキがきてしまのです。

その点を色々な人の書いた情報を多数読むことにより、

マンネリ化の克服(いつも新鮮な心)とともに

確信が一層強くなるとも可能となります。

以下を参照にしてみて下さい↓

わくわく能力開発目標達成の本
posted by hisashi at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月19日

現代の花咲爺

今回は上場企業100社の大株主で日本一の個人投資家として

有名な竹田製菓の会長竹田和平さんを取り上げます。

以前竹田製菓では工場内に有難うございますを

四六時中工場内で流している話を聞いたことがあります。

そしてそのアリガトウを100万遍聴きながら出来たのが、

その名も「ありがとう百万遍ボーロ」(タマゴボーロ)

100万遍もアリガトウを音のバイブレーションでお菓子に染み込ませると、


お菓子の原子レベルにも良い影響を与えるらしく

このお菓子を周りの人に与えれば、与える程

徳を積むことになり運がよるなるとのことです!?

凄すぎです〜^^:

信じる、信じないはあなたの自由

これを普通に聞いたら、ウソつけ〜

お前は竹田製菓のまわしものかー!!

そんな声が聞こえてきそうです。

しかし、実際竹田社長は1日3,000回唱えだした頃から

ツキがどんどんでてくるようになり

止められなくなったそうです。

とうとう有難う100万遍の和を提唱してするようにまでなってしまいました。

そのサイトを下記にはっておきます。

ありがとう百万遍の和

言わば現代の花咲爺だそうです。


ありがとうの子守唄


ありがとうを唱えると

戦争やイジメもなくなる!!

運も良くなる!!

ストレスもなくなる!!

他人の良いところを認められるようになる!!

ところで、

良いことがあったら

ありがとうございます

普通はそうです。

しかし、何もない時から

いえ、嫌なことがあった時に

ありがとうございます。

なかなか凡人にはむずかしそうですね。

でも、

本質を知っている人達は

既に出来事が起きてくる前に

もう既に心の中ではそのことが実現したと

ありがたい、ありがたいと思っている人達が

成功者には多いそうです。

超楽観思考です。

その反対に不平、不満ばかりが口癖になっていると

そのような思いの現象を自分の周りに引きつけてしまいます。

結果を出している人が言ってるのですから

ここは一つ「ありがとうございます」を

唱えてみようではありませんか!!



こんな時代だからこそ強くお勧めします。
posted by hisashi at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

皆が集まれば!?

皆が集まれば!?

この世界中での全ての人が一人一つ自分の良い点を出し合ったら?

全員合わせればパラダイス(天国)ができる!

そしてそれぞれが他人の良さを認めれば

皆楽しく思いやり溢れた社会ができる。

反対に一人が一つずつ悪い点を出し合ったら、

それが一つにまとまれば

この世は地獄!

人には誰でも良い点もあれば、悪い点もある。

自分に無い点を相互に補い、助け合えば

これ程生きるのが楽しいことはないでしょう。

また、

人の良さを妬み、悪口で引きずり落とそうとする

浅ましい人間が増えれば

何も死ななくてもこのこの世は地獄!

神のような完璧な人間(個人)絶対存在しない!

それは周りからイメージを植えつけられた妄信。

皆が調和が取れた時に全体で完全になる。

反対に自分さえ良ければ!

そんな人間が増えればこの社会は悪魔の住処。

天国も地獄も何処か別の所にあるのではない。

以前聞いた話に、

同じ丸い円卓で同じ料理を食べながら

片方の集団は和気藹々(わきあいあい)楽しく食事をし、

もう一方の集団は何も食べられずひもじい思いをしていました。

何故でしょう?




実は1メートル程の長い箸を各自に与えられていたのです。

当然自分だけが食べようとすれば

上手く食事が食べられません。

逆に相互に相手に食べ物を長い箸でつまんで

与えようとすれば

楽しく美味しくだべられる。

天国も地獄も他所にあるのではなく

人の心の中にどちらか一方が生まれ

そして現実社会を創りあげる。

今は世界的にみて時代の変革期にありますが、

天国にするも地獄にするも

私達の心次第言うことなのでしょう。

posted by hisashi at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月19日

人生の目標達成

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2009年02月11日

健全な自己受容

健全な自己受容

前々回はナルシズムについてお話をしましたね。

今回は似て非なる健全な自己愛です。

英語でセルフ・ラブと呼ぶそうです。

心身のストレスが浄化されてくると、

あることに気付くようになります。

それは?

自身を客観的にみられるようなってきます。

今まで主観的な思い込みでみていたことに

かなりの偏りがあることに気がつくようになるんですね。

自分の愚かさ、傲慢さ、小ささ等に

思いが至り、一時的にはかなり落ち込むことがあります。

しかし、これは決してマイナス思考と言うことではなく、

より心が健康的になってきている証でもあるのです。

そおいう点だけで言えば、

落ち込みも決して悪いことではないと思います。

そこには反省、改善の芽がふきでているわけですから!!

問題はいつまでもそのことに拘り何もしようしないところにあるだけですから、

何もしなければまさに消極思考の塊になって

他の責任回避や妬みなどにエネルギーを転化するようになります。

そしてさらに気がついてくることは、

他人の欠点として見ていた(感じていた)ことが、

実は自分自身の中にある受けつけられない感情の投影であることに気がつくことです。

つまり他人と見えるのは自分の内面の表れだと言うことです。

姿、形は鏡で確認できます、

では、

自分の奥底の心はどのようにして確認ができるか?

自身が接する人達から受ける印象(感情)が示しているのです。

昔テレビで野坂昭如さんが出演していたCMで、

「ソクラテスもプラトンもみんな悩んで大きくなった!」笑)

ありました。

親鸞と言う宗教家も悪人正機で「善人が救われるなら悪人はもっと救われる」と述べています。

この場合自分を善人と思っている人達より、自身の愚かな、情けないそんなことを深く自覚している人の方が

救われ易い!

と言うことなのでしょうが、

今回のテーマで言えば自身の弱さを心から(客観的も含め)自覚した時に心が救われると理解できると思います。

聖書でキリストが「汝ら自分に罪が無い者だけがこの罪人に石を投げよ!」と言ったら、

誰もその罪びとに対して石を投げられなかった。と言うくだりの話があります。

仏教では心の埃がとれて物事の本質を見ることができることを

「正見」と言っています。

つまり何が言いたいかと言うと、

自分の愚かさを客観的に自覚できるようになってくると、

そしてそのことをあるがまま自己受容できてくると、

他人の今までマイナスと思っていたことが受け入れられようになってくると言うことです。

そうなると人を裁く気持ちがなくなってきます。

これは他者受容でもあり、自己受容でもあります。

人間50歩100歩なのですから。

一般的にはこれで話が終わりですが、

もう少し続けたいと思います。

あるがまま自分を受け入れることも分かった。

そして他人にたいしても受容することも分かった。

それだけですと、また勘違いしてしまいやすいのが

なんの努力も改善もしようとせず

ただあるがまま、

無気力にただ生きてしまう人も出てくることにあります。

一旦は自己の心の弱さを自覚し、

その後は人は無限の可能性があることを信じ

今までのような尊大な自己とは別の

あくまで人それぞれがあたえられた個性に則った

潜在能力を開発していくことこそが、

日々の充実感ややる気に繋がってくるのではないでしょうか?

最後にお釈迦様は、この世は「諸行無常」と言い残しました。

これは厭世観として受け取るのではなく、

常に変化しているのが我々生きている現状なのですから、

我々も昨日より今日と少しでも進歩改善をしていかないと

人間も腐ってきてしまう。

そんな前向きの解釈をしてみたいと思います。

何故なら、

自然(宇宙)絶えず流動しているのですから

一つのことにつかまって(固定)しまうということは

自然の法則に反してしてしまうことになります。

たとえ、善と言われることであっても

その言葉に囚われると(裁く)

自身の心も苦しくなってくることがあります。

ジャンケンで言えばグーではなく、

パーです!!

グーをだして何かを掴むと

それ以外の物は決して掴めません

しかし、

一旦それを手放しパーになれば

無限に新しい物を手にすることができます。

これらはまた別の機会にしますね。

そんなこんなの考えを色々取り混ぜて

取り留めの無い話でしたが終わりにします。^^
posted by hisashi at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

前回の補足

前回の似非自尊心について触れましたが、

健全な自己受容を話す前に

チョッと気になることがありましたので

そのことを今回補足します。

私達は誰かに自分を否定されると

非常に感情的になることがあります。

そこで自信のない人(心の安定感)ない人程

強く激します。

これが俗に言う似非プライドの高い人の心理状態です。

前回もその点について話しましたよね。

自己防衛の心理が働くと言うことです。

ところで、

実際は似非プライドの高い人程ではなくても、

人だれもが内心はいい気はしないのが

現状です。

そうではないですか?

私は単に自己防衛としての怒り以外にも

もう一つ別の要因も複雑に絡みあっていると見ています。

それは、、、

人には全員心の奥底に素晴らしい宝ものを持っているのです。

そのことを何と呼ぶかは、

読者のあなたに任せるとして、

その素晴らしい宝を潜在的に持ち合わせていることが

無意識レベルから

たまにシグナルとして送ってくるというのか、

なんとなくと言うのか、

とにかくそのエネルギーが内在している故に

人は自身の存在に対して誇りを無意識に持っていると

言えるのかもしれません。

このプライドは前回のナルシズムのプライドとは間逆です。

真の人間としての誇りです。

そして誰もが共通して持ち合わせているものでもあります。

我々自分に対しても、

人に対しても、

大いに敬意を表するのは

その一点に他ならないと

言えると思います。

順番が少しずれましたが、

次回に健全な自尊心と他者受容を触れてみようと思います。
タグ:似非自尊心
posted by hisashi at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする