しばらくごぶさたでした。
「運命」というかなりディープな内容を取り上げたのですが、
どのように話を展開していくか、
いろいろ考えていました。
まずは結論から入って各論は後から取り上げていくほうが
自分としては書きやすいと思いましたので今回はその件(くだり)でいきます。
前回のニュートン力学までの世界観は決定論ですから
我々の思考、行動も含めて全ては決まっている。
つまり我々には自由意思が与えられていないと言うところまで話しました。
かのアイシュタインでさえも「神はサイコロは振らない」と言ってましたからね。
我々がはっきりとした未来を予測できないのは
現在(その当時)の科学の情報量での段階のことであって
将来科学の進歩とともに未来の正確な予測は可能だ言うのがその当時科学者の常識でした。
しかし、20世紀初頭量子力学と言う理論物理学が登場してきたのです。
この量子力学において何がニュートン力学と違うのかと言うと、
ニュートン力学では物質の究極の最小単位が粒子と言う考えなのです。
物質をどんなに細かくしていっても究極は粒子と捉えますから
粒子の位置と速度が測定できれば1秒後、10秒後、1年後とニュートンの運動方程式で計算できる。
つまり、一人の個人の将来も世の中の将来も計算してだすことができると言う結論になります。
このような考えを唯物的宿命論と呼びます。
なぜこのように将来のことが全て計算方式で分かると考えたかと言うと、
私たちの体の究極は分子つまり原子核と電子でてきています。
原子核の周りの電子の運動量を計測することにより個人の将来までも予測できるとしたんですね。
あらゆる物質はみな分子で、できていてさらに分子は原子核(プラス)の周りに102個の電子(マイナス)が
調度太陽系の周りを回っている地球のような衛星という姿を想像しました。
注意:あくまでもイメージであって現実には確認できない。
これが前回に話した、「決定論」の根拠です。
今の科学者達の認識は
量子力学と言う理論物理学です。
注意:現代の物理学では、ニュートン力学は、われわれが日常扱うスケールでの有効理論であると考えている
ではこの量子力学では物質をどのように見ているのか?
これが実に驚きなんですが、
究極の物質と呼ばれるものが?????
あるようで無い、ないようである???
なんのこっちゃ?
物質をどんどん小さく分析していってゆきついた結果は?
固定粒子のような確固とした存在はないと言う結論になったのです。
般若心経の「空即是式・色即是空」の世界観と近似しています。
物質には2面性があり
粒子とは波動のどちらか一方だけが存在するのではなく、
両面性を持ったどちらかの特性を見る側の認識によって現れると説いたのです。
「量子の観察効果」と呼びます。
先に上げたこの世界の未来を計算するには素粒子の運動状態(位置と速度)を正確に把握しなければならないのですが
それは未来永劫不可能だと言う結論にいたったのです。
(ハイゼンベルグの不確定性原理)
もしこれがわかれば個人も社会の行く末も計算で分かるのですが(ニュートン力学)
アイシュタインが「神はサイコロは振らない」と言ったのは、現段階では情報不足なだけでいずれは必ず計算できるといった意味です。
このことは長くオランダの物理学者ニールス・ボーアとアインシュタインの間で論争となっていました。
アインシュタインの死後フランスのパリ大学アレーヌ。アスペクトの実験によってボーアの理論が正しいと結論がでたのでした。
(ボーア・アイシュタイン論争)
今までなにを言ってきたのかここで整理してみると、
我々の肉体を含めて究極の物質と思われていた粒子(物)は確固とした存在ではなかった
あたかも幻をみていかのごとき存在である。
そしてはっきりした個体ではないので運動状態を正確に割り出すことができない
つまり未来を100%確実に知ることは永久にできない。
この理論物理学の結論から言うと我々には自由意思により自らが運命の開拓ができると言うことになります。
しかし、一般的能力開発では運命的なことを取り扱っていませんが
確かに運命と呼ばれる現象も先にあげた人の自由意思と同時並行して存在しているのです。
それらのこともこれから実例を取り上げてなるべく客観的に紹介していくことにします。
【情報の最新記事】

