命を運ぶと書く。
果たして運命は存在するのか?
しないのか?
このブログを長く読んでいる人達は、
過去に「思いの実現」を読んだことがあると思います。
ピンクレディのの振付師土井さんの話などその一例ですが
http://cocoro7.seesaa.net/article/80328835.html?1244838787
土井さんの強烈な思い(願望)でとうとう家が建ったと言う話です。
この出来事は果たして偶然だったのか?
それとも必然だったのか?
われわれが体験している出来事は全て必然だとある人達は言っています。
あなたも聞いたことがあったでしょう。
そうであれば我々が努力していることも
必然となり
すでにそのような願望を持ったことも
過去に決定していたことになります。
であるならばもうすでに運命は決まっていると言うことになります。
だから努力しても無駄だ言う人がでてきます。
努力するもしないも決定しているのだから。
確かにこの論理は論理である一面正しいとも言えます。
事実我々が日常生活を混乱なく過ごしていけるのも
原因と結果の科学の法則があるから
安心して乗り物などの交通機関にも乗れるわけですから。
ニュートン以降の古典力学があるからです。
ニュートンの計算方式でいくと未来のことも計算で分かると言うことになります。
ここまでの話だけを読むと
我々は良くも、悪くも運命と言う名の呪縛から逃れられない
ある意味運命の奴隷だとも言えるのかもしれない。
これを書いてるのも書かされているのかもしれない?
このような考えを決定論と言います。
西洋の考えにあるのです。
「聖書」の「よげん」と言う文字は「予言」でなく「預言」と書きます。
言葉を預かっていると言う意味です。
つまり「聖書」を読めば現在起きていることも将来起きてくることも
全て「神」の意思により決定していることと言うことになります。
果たして我々に自由意思における自身の運命を開拓できるのか?
そうでないのか?
話が長くなりました。続きは次回に!
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